愛宕神社の出世の石段を昇ってきた話!

前から気になっていた出世の石段を昇ってきました。

1.そうだ出世の石段へ行ってみよう!

5月くらいから配属プロジェクトが変わった関係でドタバタしていて結構忙しかったのですが、仕事の切れ目で「池波君って夏休み取ってないよね?このタイミングで取っちゃってくれる??」というダイナミックな指示お願いが来て、突如休みを取ることになりました。

しかしいきなり休めと言われても、独り身で無趣味なワシとしては部屋でゴロゴロするくらいしかやることが無い。。。

というパターンにもそろそろ飽きてきたので、意を決して以前から気になっていたけど行けてなかった「愛宕神社の出世の石段」へ行ってみることにしました。

2.愛宕神社の出世の石段とは!?

「出世の石段」とは、東京都港区愛宕一丁目にある愛宕神社にある石段で、登ると出世すると言われている石段です。

何でもその昔、曲垣平九郎(まがき へいくろう)という丸亀藩の武士が、将軍(徳川家光)の前で乗馬しながらここの神社の急勾配の石段を登ったことを気に入られて出世したという逸話があって、出世の石段と言われているんだって。

ワシの好きな漫画の「まんが道」にも曲垣平九郎の話が登場していたし、「食の軍師」でも本郷が愛宕神社へ行っていたので、ワシもいつか行ってみたいと思っていたんですが、港区という東京のど真ん中にある割になかなか行く機会がなかったんですよね。


引用:まんが道 著者:藤子不二雄Ⓐ

引用:食の軍師 著者:泉昌之

まぁ、金は欲しいけど働きたくないというのが正直なところなので、出世したいかと言われると微妙な部分もあるんですが、ワシの友達はこの石段登った後で課長になっていたので、意外とご利益はあるのかもしれません。

ちなみに、この曲垣平九郎の話、上で触れたような概要は知っていても詳しい内容は知らなかったので、この記事を書くにあたってWikipediaを見てみたらこんなことが書いてありました。

これは、江戸時代1634年2月25日寛永11年1月28日)、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にあるが咲いているのを見て、「梅の枝をで取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている(講談浪曲の定番、「寛永三馬術」で今も伝わる)。 引用元:Wikipedia

 

別に平九郎が自分でアピールしたわけじゃなくて、家光が言い出したんですね。

流石生まれながらの将軍だけあって中々のパワハラ命令。

普段から鍛錬しておいて、チャンスを上手くとらえてモノにするのが出世の秘訣ってのもあるんでしょうけど、なんだか上役の無茶な指示に応えてこその出世って感じもしてきましたね。。。

なお、Wikipediaによると、乗馬したままこの石段を往復するのは結構難易度が高いようで、記録にある成功例は3件みたいです(登っただけなのか下りも含めての記録なのかは不明)。

3.早速愛宕神社へ!

というわけで、電車に乗って近場の御成門駅で下車。

駅としては神谷町の方が近いらしいですが、まぁ東京のど真ん中なのでどこで降りても数分の差です。

この日は天気も良くて散歩日和。

東京タワーも見えました。

でも御成門駅からも歩いて8分程度なので、散歩を楽しむ時間もなく、あっという間に愛宕神社に到着。

そしてすぐに出世の石段があります。

なんか写真でみるとそんなに急勾配ではなさそうですが、実際現地まで行くとソコソコ急な感じの石段でした。

これを、馬で登って降りてくるのは凄いと思いますが、人の足ならまぁそこまでって感じですかね。

んで、パッと登り終えて本殿へ。

平日の昼間のわりに参詣している人が結構いました。

みんな出世したいんでしょうかね~。

なお、出世の石段ばっかり有名ですが、この愛宕神社自体は1603年に、徳川家康により防火の神様として祀られたらしく、主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)だそうです。

愛宕山にあるから愛宕神社なのかな~って思ってましたが、どうも愛宕神社って名前の神社は、九州から北海道まで全国にあるみたいで、Wikipediaでパラパラとみる感じだと、火産(ホムスビ)とか加具土(カグツチ)とか、火の神様祭ってることが多いみたいですね(愛宕山って山も結構な数あるみたいですが。。。)。

港区教育委員会による愛宕山の説明もありましたが、"今日のように周囲に高層ビルが建つまでは"という文章が哀愁を感じさせてなかなかGood

たしかに、石段を昇る前も、横に高層ビル(愛宕グリーンヒルズ?)が見えてメッチャ違和感ありましたが、これも時代の流れなんだろうな~。

1634年頃は風情があったんでしょうけどね。

ちなみに境内には、曲垣平九郎と馬のパネルと、なぜか勝海舟と西郷隆盛のパネルがありました。

下に江戸城無血開城会談の地って書いてあるので、幕末関係ですね。

平九郎も当時まさか大政奉還で江戸城が明け渡されるなんて微塵も思わなかっただろうなとか思うと、なんか感慨深いものを感じますね。

4.お神籤を引いてみた

自分は神社へ行くと結構お神籤引くんで、ここでも引いてみました。

三十六番。

結果は

でもなんか、"特に男女の間をつつしめ"だの、"色情につき妨起こる"だの、"よく見定めて進め"だの、"はやく我心をさだめよ"だの、ラブコメ漫画の主人公に言え!っていう内容でしたね。

そんな状況なら、平日の真昼間からこんな所に一人でいないんだよなぁ。。。

それともこれからラブコメみたいな生活が待っているんでしょうか。

5.愛宕新坂から帰宅

参拝が終わった後は、帰りは裏の坂道から虎ノ門ヒルズの方に抜けて帰りました。

なんでも、折角出世の石段を上ったのに、そのあと降りるのは縁起が悪いと言われているようで、出世の石段を下りて帰る人は稀なようです。

食の軍師でも本郷が、


引用:食の軍師 著者:泉昌之

なんて言っていましたが、でもよくよく考えると平九郎は下っていたんですよねぇ~(そもそも馬でだけど)。

今思うとあえて出世の石段下るというのもネタになったかもしれませんが、まぁ石段降りるのは単純に危ないので止めといて正解だったかな。

行きはよいよい帰りは怖いですから。。。

6.おまけ。帰り道にブラブラした時の写真。

天気が良かったので、帰りにプラプラ歩いてきたのでその写真も乗っけておきます。

①虎ノ門 金刀比羅宮

愛宕神社のすぐ近くにあるお宮。

1660年に讃岐国丸亀藩主が、地元の金刀比羅宮の分霊を祭ったのが始まりらしい。

平九郎も丸亀だったなぁとか思ってましたが、そもそもここら辺に藩邸があったっぽいですね。

あとなんか窓に攻殻機動隊のポスターが貼って会ってウケました。

テロを許さないというのはともかく、神社とサイバーパンクというのがまさに攻殻っぽくていい感じですね。

②皇居

徳川の江戸城を皇居って呼ぶのが未だに違和感あるんですが、皇居。

この日は本当に天気が良くて、清々しくて最高でした。

ここら辺から見るビル群も良い味だしてますよね~。

7.おわりに

というわけで、愛宕神社へ行ってみた話でした。

普段、日中は会社に籠っていて、土日も部屋でゴロゴロしていることが多いのですが、たまに外出してみるとそれはそれで楽しいもんですね。

正直出世よりも、お神籤で出たラブコメ生活の方が興味がありますが。。。

皆さんも是非、愛宕神社の出世の石段へ行ってみてはいかがでしょうか!?

横山光輝(著), 山岡荘八(著)

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